2023.02.14
「人生を変えるメディアをつくる」というパーパスの下、シニアマーケットの開拓や会報誌制作に取り組む株式会社ソーシャルサービス。6期連続でプラス成長を遂げた今、医療分野のアプリ開発という新たな分野に挑んでいます。代表取締役社長を務める白形知津江さんに、抱き続けている社会課題への想いと、これからのビジョンについて語っていただきました。
授賞式の日はたまたま取引先の祝賀パーティがあり、私の代わりに伺ったスタッフが先方に受賞をお伝えしたところ、とても喜んでくださったそうです。SNSを見た取引先の方からもお祝いのお花をいただき、お客さまに支えていただいていることを痛感しました。
静岡で起業したのは、2005年です。大手広告代理店を退職後、社会起業家を目指して離島で地域おこしの仕事を行っていたのですが、出産間近となり、夫の住む静岡に引っ越してきました。出産して半年後、社会起業の夢が捨てられず、赤ちゃんを抱えて自治体の起業支援窓口へ相談にいきました。その頃、お世話になった方へメールを送るときにちょっとしたプレゼント、例えばハンカチ1枚、ハーフボトルのワイン1本などを贈れたらいいなと思っていたんですね。
窓口の人に話をすると、「いいアイデアだね!やってみたら」と言われ、出産後11か月で創業、2007年に法人化しました。住所がわからなくてもメールを使って相手にギフトを贈ることができる「メールdeギフト」事業は大ヒットして、その後は住所がわからなくても年賀状を送れる「ミクシィ年賀状」のサービスをつくり、こちらもブレイクして、Japan Venture Awardやカンヌ国際広告賞をいただきました。
ベンチャーキャピタルも参画し、大手企業と提携するなど、事業はどんどん成長していきましたが、当時のスタッフは子育て中のママたちと、専門学校を卒業したばかりの若者だけ。オムツを変えて授乳をしながら、みんなで事業を育ててきました。見知らぬ土地で出産した私には既存の友人は居なかったのですが、子育てサークルから始まったこの会社で多くの仲間たちと出会うことができました。
創業10年目を迎えたときのことです。大きな成果も出てみんなも喜び、収益も出ていたのに、事業とはまったく関係のないロジックで、売上の95%を占めていた仕事をすべて失うことになりました。色々なことがガタガタと崩れて目の前からなくなり、今思えばそのときが人生のどん底だったと思います。
明日からやる事業もなく、共に汗を流した仲間たちの再就職先を探しながら、残った社員と新たな事業をつくるということを一気にやらなければいけない。不安と失望のなか、「経営者の仕事は、真っ暗闇の砂漠で旗を立てること。ここに行こうと指し示すことだ」という、先輩経営者の言葉が支えになりました。
私は、売上が伸びないということはつらくないと思っているんです。それなら100軒、代表電話をかければいい。自分の努力でなんとでもなるんですよね。でも、そうじゃないところで仕事を失うのはつらい。今後は二度とこんなことが起きないための体制をつくろうと思いました。
そして原点に戻り、自分たちが信じていける、正義と思えることをやる会社にしようと決意し、メディア事業をスタートしました。最初の案件が決まるまで1年近くかかったので、すごく苦しい時期でしたね。あれから6年。みんな、ものすごく頑張ってくれました。
アワード受賞のお知らせが届いたのは、新たな挑戦を覚悟したときでした。子育て中のママや一人暮らしの高齢者など、社会に声が届かない方々を事前に発見して、アラートを飛ばす医療機器の開発です。
始まりは2012年から始めていたシニア向け事業で、都市でも地方でも高齢者の一人住まいの方が多いことを知って驚きました。孤独化するシニアにこそ、明るいメッセージを届けたいとシニアマガジンの事業を自治体に提案したのですが、なかなか予算がつきませんでした。
私たちがつくっているメディアは、読んでくれた人の気持ちをあげて「次の一歩」を動かすものです。多くの企業にご賛同いただきメディアを輩出していますが、これは元気な人にしか届かない。商品やサービスを購入して「頑張ろう」と思っている人が読んでくれて、ますます頑張ってくれるというもの。もちろんそれはいいことですが、そこにすらたどり着かない社会的な弱者や気持ちが落ちてしまっている人たちに対しても伝えられる手段を、ずっと模索していました。
私たちなら、家から出てこられない人、声を上げられない人に対して、認知を変える、行動変容を促すメッセージを伝えることができるのではないか。しかし、事業にするのは難しい。そんな日々が続くなかで知ったのが、保険適用になった医療アプリのニュースでした。
2020年、医療スタートアップ企業が開発した高血圧治療アプリが、公的医療保険に適用されました。高血圧治療向けの承認は世界初です。その後、禁煙治療アプリや不眠治療アプリが開発され、まさにここ1、2年、アプリが医療になるという世界的な潮流がやってきています。
高血圧治療と禁煙治療のアプリは、どちらも行動の変容を促すことで医師が行う治療の補助となるツールです。高血圧の人には運動や食事の改善など生活習慣の修正をサポートするプログラムが搭載され、タバコを吸う人にはニコチンへの心理的依存を克服するためのサポートプログラムが組まれています。こうしたアプリが保険適用され3割負担などで利用できる時代が来るというニュースを見て、「私たちがやりたいことは、この枠組みに乗せたら実現できるのでは?」と考えました。医療として承認され、保険適用になれば、弱っている人や困っている人に、事業としてメッセージを届けることができる。そのことを知り、医療機器の開発に踏み込みました。
まずは、産後うつの医療機器開発から着手しています。産後のママのバイタルサインを取得し、高ストレス状態であることを定量化できる機器に、「つらい」など自分がどう思っているのかという主観を統合させて、産後うつの補助診断となるシステムを構築します。バイタルとメンタル、それぞれの高リスク値を判定してアラートを出す。これを本人にはもちろん、パパにも伝えてあげたいのです。
産後のお母さんは相談できる場所が少ないのです。辛くなっても自分自身のケアは後回しになり、目の前の新しい命に向き合います。すべての人間はこうした親の愛情を得て、命をつないでいるのですが、子育て環境が孤立化する中で、苦しい思いを抱えるママが増えています。産後うつは、周囲の介入によって未然に防いだり、重症化の予防が可能です。ご主人や信頼できるご家族からの優しい言葉、いたわりの言葉があるだけで、事象に対する認知が変わり、自分自身の心が救われます。この仕組みを構築し、プログラムを応用することで、高齢者うつやフレイルなどに対応する機器の開発に取り組みます。
これまでに、3回の事業転換をしました。すべての共通項が、「人を想うサービス」ということです。「メールdeギフト」は、まさにそういう事業ですよね。シニアビジネスのときは、社会とのつながりが減少することで、心身の機能が衰えるシニアが多いことを知り、この人たちに一番必要なのが「メディアによる啓発」だと考えました。行動を起こすためには、考えが変わらないとならない。いくら周囲がお膳立てしても、自分自身がそう思わないと、行動は変わりません。例えば「機能が衰える」という事象は変わらないけれど、それをどう捉えるかで、人生は大きく変わります。
私の場合、どのビジネスも「誰かを想い、想われる」が原点です。ITもシニアもメディアも根幹は同じものですが、もし、事業転換を考えている方がいらしたら、ご自身が人生を賭けられる意義がそこに見つかるかどうかを大切にしてほしいと思います。それによって、逆境の時に貫けるかどうかが決まるのかなと感じます。
会社が窮地に陥ったときに思い出したのが、大好きだった祖母が人生の終わりを迎えたシーンでした。小さな寿司屋の女将だった祖母の最期に、全国から色々な人が集まってきて、涙ながらに「ありがとう。女将さんのおかげで、今の自分がある」と横たわる祖母に語りかけている。車椅子で駆け付けた90代の方や、新幹線を乗り継いできたご夫妻……。その姿に胸を打たれ、「私は、この祖母に恥じない生き方をしよう」と心に決めました。
医療機器開発はお金も時間もかかり、門外漢の私たちには非常に高いハードルです。それでも、ここへ行こうと旗を立てて動き続ける限り、必ず道が開けると信じています。事業とはたった一人の誰かの熱狂によって生まれるものです。今回のアワード受賞は、挑戦するためのエールだと受けとめて、前だけを向いて、成長していきます。
東京出身。女子栄養大学卒業。スキー選手、出演業、電通勤務を経て、2005年静岡県で創業、2007年株式会社メールdeギフト設立(現:株式会社ソーシャルサービス)。静岡県ビジネスプランコンテスト最優秀賞、県知事褒章、Japan Venture Award 2010 中小企業大臣賞を受賞し、中小企業庁政策審議会審議委員を務める。2012年郵政関連団体と資本業務提携し、400万人のシニア会員に向けた新規事業を創出。2015年厚生労働省/産経新聞社ら24団体の協力を得て「Over60 全国スマイルコンテスト」(現:R65全国どきTuberコンテスト)を主宰。2018年より日本応用老年学会理事に就任。中高年シニア、周産期、小学校メディア事業の経験から、フィジカルとメンタル、コンテンツと医療の融合に挑戦する。